アヴァンギャルド・アウトテイクス

Shiny Booksが発行する雑誌『アヴァンギャルドでいこう』の公式ブログです。ウェブ限定記事を中心に様々なトピックを提供していくのでお楽しみに!

庵野秀明インタビュー

5月23日、「Sputnik」日本語版のサイトで、「『エヴァンゲリオン』の監督、日本アニメの寿命はあと5年か」と題された記事が出ました。

http://jp.sputniknews.com/japan/20150523/369080.html

 

それによれば、日本のアニメは斜陽に向かっており、いずれ世界のアニメを牽引する中心的な存在ではなくなるだろう、と庵野秀明監督がインタビューで語ったというのです。

この記事はTwitterなどネット上で話題になりました。しかし、実は「Sputnik」にあげられていた情報はインタビューのほんの一部分であり、悲観的な展望のみが強調されて伝えられていました。

そこで、今回このインタビュー全文を訳出し、庵野監督の真意を誰もが推量することができるようにしました。

とても感動的なインタビューですので、庵野秀明ファンはもちろん、日本のアニメを愛する全ての方々に是非お読みいただきたいと思っています。

なお、インタビューの原文は以下のサイトにあります。

http://ria.ru/interview/20150522/1065883205.html

 

 

庵野秀明監督「日本のアニメは黄昏を迎えています」

 

2015年5月22日

日本のアニメーションの未来について、伝説的なアニメーションスタジオであるジブリの解散について、そして宮崎駿風立ちぬ』での自身の声優出演について、5月22日に55歳の誕生日を迎えた監督が、リアノーボスチのインタビューに語ってくれた。

 

エヴァンゲリオン』というカルトムービーを生み出した庵野秀明はインタビュー嫌いで有名で、『エヴァンゲリオン』の続編について質問しないよう記者たちに求めている。日本のアニメーションの未来について、伝説的なアニメーションスタジオであるジブリの解散について、そして宮崎駿風立ちぬ』での自身の声優出演について、5月22日に55歳の誕生日を迎えた監督が、リアノーボスチのインタビューに語ってくれた。聞き手はクセーニャ・ナカ。

 

――監督はご自身をマニアだと仰っていますが、作品のファンたちは監督のことを『エヴァンゲリオン』のようなカルトムービーや他の作品を生み出した人として見ています。なぜご自身をマニアだと仰るのですか?

 

――自分の絵や作品でお金を稼いでいる人がプロだと、僕は思っています。一方で、稼ぎのためではなく、単に自分がやりたいからという理由で、自分がやりたいものだけを作る、儲けに無関心な人は、マニアなんです。ぼくは自分が(あらゆる意味で)マニアだった頃から作品を作ってきました。マニアである時期というのは、どんなプロにも不可欠だと僕は思いますね。マニアの時期があって、その後にプロの時期が来るんです。学生時代に作った自分の作品を観ると、恥ずかしくて死にそうになります。

 

――宮崎駿監督の『風立ちぬ』で、アニメ声優という新たな試みに挑戦されたのはどうしてですか? また、この決断を後押ししたのは何だったのでしょうか?

 

――全部単純な話なんです。宮さんが僕にこう言ったんです、「やれ!」って。理由はこれだけなんです(笑)。彼は僕に頼んできました。で、僕はそれを断れないんですよ。僕はちょっとだけ声優をやってみたことがあるんですが、でも主役を演じたことは一度もありませんでした。これはものすごい責任です。僕はやれることは全部やろうと努めましたが、でもそんな必要はなかったんですよ。もっと詳しくお話した方がよさそうですね? もしこの役が上手くいかなかったとしても、僕に罪はないんです。僕にとって重要なのは、宮さんが上手くいったと言ってくれたことなんです。それがつまり、万事オッケーってことです。全部終わったとき、宮さんがとても喜んでくれたので、たぶん上手くいったんだと思いました。ざっくり言うと、僕は宮さんを喜ばせるためにやったんです。僕自身、声で演技したいとは全く思いませんでしたね。

 

――難しかったですか?

 

――ちっとも。大事なのは、僕が演技しなかったということです。収録中、僕は今の僕であり、僕自身であり、いつも喋るみたいに喋りました。堀越二郎(アニメの主人公。そのモデルは、第二次世界大戦期の日本の伝説的戦闘機「ゼロ戦」の設計技師――編集部)になろうとは思いませんでした。庵野秀明その人のままでした。宮さんが望んでいたのもそういうことだったんじゃないかと思います。彼は僕に堀越二郎になって欲しくなかったんです。彼はただ堀越二郎みたいな人に喋って欲しかったんだと思います。声優の技術は関係ないんです。

 

――日本のアニメの将来についてはどうお考えですか? その未来をどのように見ていらっしゃいますか? 日本のアニメーションの状況をどう記述することができるでしょうか? 日本や世界でアニメーションが発展してゆくためには何が必要ですか?

 

――日本のアニメーションは…何と言ったらいいかな…日本のアニメーションは凋落しますね。もう頂点は過ぎたんです。黄昏を迎えています。落ちていきますね。完全に落ち切ったら、恐らくその後に改めて上昇してゆくでしょう。その上昇を待っている人たちがそのときアニメーションにどれほど残っているか、ですか? アニメの制作システムは今のところギリギリの状態ではありますが、もちこたえてはいます。それが崩壊するのは時間の問題だと思いますね。大体5年後には…ともかく20年はもちませんね。今の日本のアニメのシステムが崩壊するのは、一番早くて5年、一番遅くて20年です。将来的には、いまここで作られているようなものを作ることはできなくなります。人はいない、お金はない、日本のあらゆる状況が、無関心に、何も考えずにアニメを作ることを許さなくなるでしょう。アニメを制作するためには、人は経済的な意味で安心安定していなければなりません。晩飯にどうやってありつこうかと考えなければならないなら、その人は絵を描くどころの話ではないし、そんな絵は喜びをもたらしてくれません。あなたが今夜食べるパン一切れの方が重要なんですよ。日本がこれほど多くのアニメーション映画を制作することができたのは、日本がとても豊かな国だったからです。いま、アニメーションも含む映画文化は衰退期を迎えていると思います。アニメーションが発展するために欠かせない条件は、この社会に生きる全ての人間の食事が保障されることです。そして、彼らが娯楽から満足を得られるようになることです。そうしなければ、アニメーション映画を制作することは不可能です。日本は今までかなり豊かな国でした。日本ではこのような条件が整っていたのです。アメリカもそうです。しかし今やアジアの国々も豊かになりつつあり、もうすぐアニメを制作するための基盤が出来上がるでしょう。一方、日本では逆にお金が減っていくでしょうね。アニメーションを作ることができていたはずの余分なお金がなくなっていくんです。そしてアニメーションは次第に凋落してゆきます。僕はこういうことが正確に分かるわけではありません。経済がどう発展してゆくかもやはり分かりません。でもいまアニメーターの数は徐々に減少しているんです。もしアニメーション業界の人たちの数がこのまま徐々に減少してゆけば、アニメーション映画を制作できる可能性は小さくなってゆくでしょう。アニメーションそのものが消滅するとは思いませんよ。でも今まで作られてきたような面白い映画が制作される状況では恐らくなくなりますね。そうなったら世界のどこかで自分たちのアニメが作られてゆくと思います。アニメーションそのものは世界のどこかに必ず存在します。ただ日本がこの世界のアニメーションの中心でなくなるだけなんです。たぶん5年後に中心になるのは台湾ですね。僕はちょっと前に台湾に行ったんです。活気がありましたね。台湾では手描きよりもCGの方が浸透してるんですよ。CG制作班にはエネルギーと情熱がありますね。日本がこんなだったのは何十年も昔です。いま僕らは惰性で動いています。僕らは保守的だから、CGで立て直すっていうのは難しい。もちろん、僕らが伝統的なアニメーションをこれほど尊重しているっていうのは大切なことです。でも、それを堅持しすぎれば、先へは進めなくなってしまいます。柔軟な姿勢をとること、新しい環境で面白いアニメをどうやって作るかを考えることは、日本ではいずれ難しくなるでしょうね。

 

――ロシアのファンは、監督がジブリと協力する可能性について関心を持っています。そういう計画はおありですか?

 

――今はないですね。今のところジブリからはそういう提案をもらってないですね…。日本のアニメスタジオのシステムっていうのは、箱型なんですよ。物を容れる箱です。容器です。だから重要なのはスタジオの名前ではなくて、そこで今まさに働いている人なんです。アニメーターの個性の方が重要なんです。

才能ある人が一つのスタジオに閉じ込められているわけではないんです。もしジブリで働いているアニメーターたちが独立して働き出したとしても、彼らは面白い映画を作り続けますよ。ジブリで働いていた人たちは、アニメ業界内の別の場所に移動しました。このことを誰も特に残念だとは思ってませんよ。もっと言えば、逆に、ジブリが解散したおかげで、新しいシーンの流れが出来上がっています。ようやく誰もが喜んでくれるような。日本のアニメーションでは、人間というファクターにとても多くのものが依存しています。アニメ制作における人の果たす役割が非常に大きいんですよ。スタジオの目的は、その仕事を軽減させることです。もちろん、個々のスタジオに受け継がれているものもありますよ。でもどんなスタジオでアニメが作られたかよりも、監督の名前の方が重要なんです。ジブリにもたったの3-4人しか監督がいません。

 

――監督は海外でもとても人気があります。それについてどう思ってらっしゃいますか? 国外の観客があなたの映画を観ることを考慮に入れていらっしゃいますか?

 

――もし海外でどう捉えられるかを気にしていたら、僕は自分の映画を作ることができなかったでしょうね。でもたぶん、まさにそういう作品が――ここでだけ感じることができてここでだけ作ることができる、とても内向きで日本的な作品が――ちゃんと海外で反響を得られると思うんです。こういうよく分からない、馴染みのない文化に惹かれてしまう人はたくさんいるんですよ。僕の作品が海外でどう受け取られているのかは考えません。外国のお客さんはまさにそのことを作品から感じ取っていますよ。もしこのことを深く考えたら、何か平凡で、どこにでもあるようなものができるでしょうね。ユニークなところが一切ないような。たとえ自分自身の世界や世界観を強く表現していても、そんなふうにすれば他の人たちに受け入れられるでしょう。それに僕は違うやり方はできません。

 

――監督はアニメーションを普及させたり様々な国の若いアニメーターを惹き付けたりといった、色々なプロジェクトを最近実現されていらっしゃいます。その点についてお話していただけますか。

 

――日本のアニメーション、システム、そしてそこで働いている人たちは、行き詰っています。僕はアニメーション業界の内側にいて、そのことをとても強く感じています。この袋小路からの脱出を手助けしてくれるようなものを見つけたいんです。ただ待つだけでは、何も起こりません。だから協同の国際プロジェクトというアイデアが生まれたんです。これはレジスタンス運動です。僕らがこういうプロジェクトを実現させようとしても、日本のアニメ業界は肝心なところは何も変わらないでしょう。でもやらないわけにはいかないんです。日本のアニメがこのまま消えてしまうのを座して待っているよりも、何かやってもがいた方がいいんです。アニメというのはお金をかければかけるほど、作る側の自由は減っていきます。若手に完全に自由に作らせた5分間のアニメのプロジェクトにいま僕らは取り掛かっています。5分間のフィルムなら一人でも作ることができます。たった一人の人間の創造的表現にできるんです。でもたくさんの人間がそこに加わることもできます。ここに新しい可能性と新しい発見があるんです。しかも5分という時間は核心だけを集中して見せることができます。僕らは英語のタイトルを付けることにしました。これらのフィルムは世界中で観ることができます。

長いフィルムは必ずしも皆が観てくれるわけではないですが、でも5分だったらたくさんの人たちが観てくれますよね。たとえば地下鉄とかで。もしかしたら日本のアニメを観ることで自分が面白いと思う何かを感じてくれる人がいるかもしれません。これは世界の視聴者に向けたプロジェクトなんです。日本の視聴者にだけ向けたものではないんです。世界中の人々がアニメを観てくれるように可能性を広げる試みなんです。スマートフォンにアプリをダウンロードするだけでいいんです。そうすれば全部観れます。日本のアニメがもっと多様になって、進化して、アニメを作る人たちの数が増えて、つまりアニメそのものがもっと魅力的になって欲しいとすごく思いますね。僕らは簡単な方法でアニメの魅力を伝えたいんですよ。

 

――どうしてそういうアイデアを今まで誰も考え付かなかったのでしょうか?

 

――お金にならないからです。これでは全く稼げないですからね。僕らが取り組めているのは、これでお金を稼ぐつもりがないからです。

 

――監督の将来の計画についてはいかがですか?

 

――僕は映画かアニメを作ることしかできません。面白い作品を作りたいですね。でも僕はもう50を過ぎて、今年で55歳になります。僕も自分が子供の頃に影響を受けた多くのアニメに感謝を捧げたいですね。アニメーションが普及し、もっと面白くなって、定着してくれるような環境を作ることがそれに報いることだと思っています。これで借りが返せます。僕だってそういうことがしたいんですよ。僕の力が及ぶ限り、作品を作り続け、アニメーションの義務を果たし続けます。

 

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