アヴァンギャルド・アウトテイクス

Shiny Booksが発行する雑誌『アヴァンギャルドでいこう』の公式ブログです。ウェブ限定記事を中心に様々なトピックを提供していくのでお楽しみに!

#7/『ゴーン・ガール』(2014・米国)~誰にも、何も見えない~

 他人に対し『カッターナイフで滅茶苦茶に切り付けた手首』を見せ付けるような作品は露悪的です。一方で、受け手はかわいそうな子どもに向けるような同情の目線を持って、作品に接し、それ相応の感動を得ることが出来るでしょう。
例えば、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する惣流・アスカ・ラングレー。敵との戦いの中で大きな戦績をあげることが次第に出来なくなっていく彼女の『心の傷』に、人は感情移入をすることが出来るでしょう。f:id:shinybooks03:20150419151400j:plain
例えば、金原ひとみの著書『蛇にピアス』に登場する、舌にピアスを開ける登場人物たち。インスタントな自傷行為を行うキャラクターたちの姿に、読者は『愛の欠落』のようなものを感じるでしょう。何故、自らの身体を傷付けなくては自分の存在を確認することが出来ないのか?


新世紀エヴァンゲリオン』の登場人物も、『蛇にピアス』の登場人物も『~をする』ことではなく、『~である』ことへの承認を求めている人々であるという捉え方が出来ます。エヴァに乗るパイロットとしての自分ではなく、ただの十四歳としての自分を受け止めてくれる人物が現れることへの淡い期待や、周りの人物との関係性の中で現れてくる“キャラクター”ではなく“ピアスを開ける行為を通じて徹底的に自己と向き合う自分”を受け止めてくれる人への恋愛感情。

其処にあるものは“傷口を媒介としたコミュニケーション”です。傷そのものを受け止めあうことで辛うじてやり取りが成立している。
“傷付くこと”に可能性を無理やり見出そうとする行為。

『傷を媒介とする作品』とは似て非なるものとして存在するのが、他人に対し『シリコンで作られた偽物の手首の傷』を見せ付ける作品でしょう。それも“本物の傷”を隠すように上に糊で“シリコンの傷”を貼り付けている。

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デイヴィッド・フィンチャー監督の最新作『ゴーン・ガール』(2014)は“傷を隠す、シリコンの傷”を人に提示する作品だと考えます。
ニューヨークで雑誌のライターとして働いていたニック(ベン・アフレック)は、或る日エイミー(ロザムンド・パイク)と出会い、恋に落ちます。二人はやがて結婚します。しかし、不況の影響でニックは職を失い、またエイミーの母親が癌を発症したことにより、二人は愛するニューヨークから地方へと転居を余儀なくされます。そうして迎えた、結婚五年目の記念日の日にエイミーは失踪します。警察の調査が進む中で、供述の不可解さなどを理由にニックはエイミー殺しの第一容疑者となります。

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本作の白眉の一つが物語の冒頭、ニックに対しエイミーが自身の職業に関する三択クイズを出題する場面です。

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「エイミー、君は何者?」と尋ねるニックに対し、エイミーは『職業』に関する三択を提示します。
『A.骨や象牙の彫刻細工師』
『B.影響力のある軍事指導者』
『C.性格診断クイズの作者』
ニックは『(エイミーの手が)彫刻細工師にはほど遠い繊細な手』であることと、『「週間軍事指導者」で君の記事を見ない』ことを理由にクイズの正解を突き止めます。
一連のやり取りは非常にロマンティックなものとして劇中では扱われています。しかし、ニックとエイミーの決定的なすれ違いを予期させる要素が、出会いの瞬間に既に存在しているとも言えるでしょう。
ニックの問いは『エイミーの人格や性格に関するもの』と捉えることが出来ます。
エイミーはどのような本を好み、どのような音楽を好み、どのような教育を受けてきたのか。両親との関係は良好か。結婚願望の有無は?子供は欲しいか、否か。
そうした問いに対する答えとして、エイミーは自身の職業に関する言葉を用意しています。職業はその人の人格の“一部”を表すものに成り得ても、“アイデンティティーそのもの”としては不十分な要素です。即ち、エイミーの答えはニックの問いに対するものとして適しているとは言い難いものです。
また、ニックの答えが“消去法”によって導き出されたものである点にも注目したいと思います。ニックはエイミーを“性格診断クイズの作者に相応しい人物”であると考えたから、その答えを選んだわけではありません。ニックは、エイミーのことを“彫刻細工師”にも“軍事指導者”にも合致した人間であるとは考えなかったから、残りの選択肢を選んだに過ぎません。
『ゴーン・ガール』を恋愛映画として捉えるならば、上のやり取りはより“恋愛映画らしい”ものとして演出し、それに合った台詞を作成することが出来た筈です。
「エイミー、クイズの答えはCだろう?」
「どうして?」
「そう思ったから」
恋人たちの出会いを描く、ロマンティックなシーンに“消去法”のような論理性はさほど重要なものではありません。

作家であるエイミーの母親は、“理想化した娘”を描く『アメイジング・エイミー』という作品を執筆し、劇中で名声を得ています。『アメイジング・エイミー』の振る舞いや人生と、現実のエイミーの“差分”を追うことで、観客は劇中の“理想”と“現実”をそれぞれ追うことが出来るでしょう。往々にして凡庸な“恋愛映画”は、アメイジング“では無い”エイミーの存在を受け入れる他者の出現と関係性の構築を描くことで幕を閉じます。本作のもう一つの特徴は、男性と女性の関係性がある程度構築された“あと”の在り様を描いている点にあります。
エイミーは本作において、ニックという“アメイジングでは無い自分”を受け入れるパートナーを得ます。ただ、エイミーはその事によって“誰もが羨む幸せな現実”を手にした……とは考えません。

劇中でエイミーは“偽物のトラウマ”――恋愛トラブル、性的被害等――を他の登場人物、引いては観客に提示します。『とにかく、ひどかった』とエイミーの両親が語る、エイミーの性的トラウマは“実在しません”。
現代において“偽物のトラウマ”を語ることは、“コミュニケーションの無効化”を発生させると考えます。“心の傷”を媒介にするコミュニケーションは、情報の受け手と送り手が“どちらも精神的に傷付いた存在『である』”という『事実』、『現実』を前提条件とします。そうした前提条件の下、情報の送り手が受け手に対し『嘘』を発信した場合、その送り手は実質的にコミュニケーションを“拒否”していると考えられます。辛うじて成り立ち得るコミュニケーションに嘘を投げ込む行為は、コミュニケーションに対する破壊行為であるとも言えます。
『~ではないかもしれない』という不確定要素を投下するだけで、人と人のやり取りは簡単に壊れ得ます。では『~である』『~ではない』という判断を下すのは一体、何処の誰なのでしょう?
全ての人が小さなニックに成り得るのと同様に、全ての人が小さなエイミーに成り得ます。

本作において、ニックはエイミーとの離婚を検討します。ニックはエイミーのことを『サイコパス』とさえ、呼びます。しかし、劇中のある展開を通じ、ニックには『エイミーと結婚生活を続ける』という一種の社会的義務が発生します。

「エイミー、君は何者?」
その問いに対する答えは決して、返って来ません。
もし“小さなニック”に出来ることが何か一つでもあるとするならば、目前のエイミーを『エイミーである』と信じる――信じることへの“見返り”が全く無いとしても――ことぐらいのものでしょう。
そして、返って来る『答えに似た何か』に含まれている成分は、『現実である』かもしれないし『現実ではない』かもしれない、空気中を舞う粉砂糖に似た幻のようなものなのでしょう。

 

九十現音

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