#17/神聖かまってちゃん…<一つの時代の終わり>
#16/カフカの独楽、あるいは原型のアレゴリー(2) ~『戦場でワルツを』~
アリ・フォルマン監督『戦場でワルツを』(2008年)は、20年前のレバノンでの戦争の記憶、しかもある一日だけの記憶がすっぽりと抜け落ちている映画監督のアリが、その「失われた時を求めて」旅をする物語です。
いわゆるドキュメンタリー・アニメーションというジャンルを代表する作品であり、そのアニメーション映像は実写で撮影された映像を加工して作られています。
題材や性質から言ってそのまま実写でもよかったはずの映画がなぜアニメーション作品として制作されなければならなかったのか、誰もが抱くはずのその疑問への答えは、映画のラストで示されます。
そこで映し出されるのは、死屍累々たる凄惨な光景。注目すべきは、この最後の映像だけ実写に切り替わっていることです。
このとき浮き彫りにされるのがアニメーションと実写という二つの手法の対置です。死という現実、虐殺や戦争という恐ろしい現実をありのままに提示した実写という手法は、それまでの80分間のアニメーション・パートを自らの引き立て役として利用しているようにも見えます。地に倒れ伏した数々の遺体の実写映像が、それまでのアニメーション映像をあらゆる意味で遥かに凌いでいたのは紛れようもない事実であり、その衝迫度はまさにそのアニメーション映像によってかえって強められてさえいるのです。
では、実写こそが厳しい現実を最も的確に表現できる手法であり、アニメーションはそれに不向きな手法なのでしょうか。
この問いは、19世紀に写真が登場したときに立てられた「写真と絵画はどちらの方が正しく対象を表現できるか」という問いと恐らく同種のものです。今では逆だと思う方が多いかもしれませんが、当初写真は絵画よりも「不自然」と考えられていました。絵画の方が対象を正しく描けているとみなす人が多かったのです。熟練の画家の筆さばきは目の前の人間の外面だけでなく、その内面まで写し取ることができるのだと。そのことを示す興味深い例が、前回「カフカの独楽、あるいは原型のアレゴリー(1)」で話題に挙げたドストエフスキーの「五頭の象」の一つ『未成年』の中にあります。
写真というものはごくまれにしか似ないものだ。(…)ごくまれに人間の顔は自分の主要な特徴、つまり自分のもっとも特徴的な思想を表現する瞬間があるものだ。画家というものは顔を研究して、その顔の主要な思想というものを把握する、だから、描いているときに、それがまったく顔にあらわれていなくたって、ちゃんと描けるのだよ。ところが写真というものは人間をそのときそのときのあるがままにとらえる、だからナポレオンが、ある写真では、薄のろみたいにうつったり、ビスマルクが――柔和な顔になったりということがありうるのだよ。
現代では写真機の性能も写真家の技術も飛躍的に向上しているので、『未成年』で言われていることがそのまま当てはまるわけではありません。むしろ大事なのは、(写真と違って)絵画が「人間をそのときそのときのあるがままにとらえる」芸術ではないと前提されている点です。それはその人の「もっとも特徴的な思想」や「主要な思想」を表現するのです。
再び実写とアニメーションの関係について話題を戻せば、「動く絵」であるアニメーションもやはり対象を「あるがままにとらえる」よりも、その「主要な思想」を表現するのに長けた手法なのではないでしょうか。
すなわち、『戦場でワルツを』においては、戦争という厳然たる現実を「あるがままに」提示しようとしたため、採用する手段がアニメーションから実写へと切り替わったのです。表現する対象と表現方法との適切な関係を冷静に見極めた末の監督の判断でしょう。
しかし、実写パートは成功していると言えたとしても、アニメーション・パートも成功していると果たして言いうるでしょうか。それは「主要な思想」を描けていたでしょうか。アニメーション・パートが最後の実写映像の引き立て役に終始していると感じてしまった最大の要因は、まさにこの点、それが「主要な思想」を描き得ていなかったという点にこそあると思っています。
「カフカの独楽、あるいは原型のアレゴリー(1)」で用いた表現を繰り返すなら、アニメーション・パートは「世界の理とでも言うほかないような真実」「世界の真相」を描き得ていなかった、ただ最後の「そのときそのときのあるがまま」の光景を写し取るのに加担しただけだったと思えてしまうのです。
真実や真相といったものは、ありのままの形では認知できません。それはたとえ話や虚構の中に寓喩的に(アレゴリカルに)立ち現れます。直接その真実に至る道はなく、別の「物語」に置き換えてゆきながら接近するしかないのです。遠ざかるように見えて、その実近づいている様子は、生きているように見えながら実は死に向かっている人間の逆説的なあり方とも似通っています。
このような間接的・比喩的なアプローチに長けているのが絵画やアニメーションといった表現手段です。それは現実の対象を「あるがまま」に写し取ることができない、常に間接的で、曖昧で、迂遠な、ヴェールをまとった芸術なのです。
『戦場でワルツを』は、この二つの原理――実写の直接性とアニメーションの間接性――のうち、一方しか活用できなかったとみなすことができます。
アニメーション研究者の土居伸彰氏によれば、若きアニメーション監督デイヴィッド・オライリーが2009年暮れに行った講演で、『戦場でワルツを』を批判して次のように語ったと言います。「制作者たちは実写を用いないとドラマチックなものは作りえないと思っている。アニメーションの力を信じていない」と。
http://animationscc.blog105.fc2.com/blog-entry-355.html
実写パートの成功とアニメーション・パートの不成功。確かに後者は前者をより衝撃的に見せることに寄与しており、結果的に『戦場でワルツを』という映画は全体として見事な出来になっていますが、実写が映すのとは別のレベルの真実、迂回しながらでなければ到達しえない類の真実をアニメーションが捉えることはなかったのです。
来る6月20日、SF界の巨人スタニスワフ・レムの小説『泰平ヨンの未来学会議』を原作とする映画『コングレス未来学会議』が全国で公開されます。監督はアリ・フォルマン。そう、『戦場でワルツを』の監督です。
『コングレス未来学会議』においても実写とアニメーション双方が用いられるようなので、『戦場でワルツを』を上回る傑作を期待しています。
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#15/カフカの独楽、あるいは原型のアレゴリー(1)~『ドストエフスキーと愛に生きる』~
ヴァディム・イェンドレイコ監督の映画『ドストエフスキーと愛に生きる』が東京で公開されたのは、2014年2月22日。ところが日本語字幕版DVDやBlu-rayなどは、2015年6月現在、販売されていません。しかし、スヴェトラーナ・ガイヤーという偉大な翻訳者の生活風景を捉えたこのフィルムは、より多くの人たちに繰り返し鑑賞されるべき類稀な作品であり、近い将来のパッケージ化への期待を込めて、このたび記事を書かせていただきます。
公式HPには、次のようにこの映画が紹介されています。
84歳の翻訳家スヴェトラーナ・ガイヤーが織り成す深く静かな言語の世界と、紡がれる美しい言葉たち――。ドストエフスキー文学と共に歩んだ一人の女性の数奇な半生を追ったドキュメンタリー
スヴェトラーナ・ガイヤーは1923年にウクライナで生まれましたが、のちにドイツへ渡り、そこで自身が「五頭の象」と呼ぶドストエフスキーの五大長編『罪と罰』『白痴』『悪霊』『未成年』『カラマーゾフの兄弟』をロシア語からドイツ語に翻訳しました。
しかしながら、『ドストエフスキーと愛に生きる』は彼女の翻訳の営為にのみ焦点を合わせた映画ではありません。これが切り出してゆくのは、学生相手の講義や自宅での料理作りといった、日々の生活風景です。彼女が故郷ウクライナの地を半世紀ぶりに訪れるというような、その生涯において重大な意味を持っているはずの出来事さえ、この映画は殊更に劇的なシーンにせず、カメラは静かに淡々と彼女のゆっくりとした足取りを追いかけるだけです。
『ドストエフスキーと愛に生きる』が映しているのは誰かの物語というより、人間の持ちうる途方もなく深遠な智慧です。スヴェトラーナ・ガイヤーという一人の翻訳家に世界の叡智が宿り仄かに輝いている様を見せているのです。
このような偉大な人間を撮影したドキュメンタリーには、作為的な演出や大きな起伏は不要です。彼女の生活の小さな一隅さえ数多の優れた小説や映画と構造を同じくし、それらの物語の示唆するものをより鮮烈に浮かび上がらせているからです。その手に触れるもの全てを金に変えたミダス王のように、彼女は見るもの全てを透視し、その本質を洞察し、言い当てることができるのです。
彼女は教会の内部を観察しながら小説の結構を語り、たまねぎの皮を剥きながら人生の意義を述べ、魚の童話について話しながら人間の内なる意志を説きます。人は一生に一度魚の声を聞くのであり、たとえその声が世間の多数派によって当然と思われているようなことに反していたとしても、その魚の声=自分の内なる声にしたがうべきなのだ、と。
この映画は一個の人間が世界の理に肉薄していった記録なのです。
冒頭、彼女はドイツ語でロシアの詩を朗読しています。全篇をここに訳出します。
なあ友よ、お前には見えないのかい、
我々には見えるもの全てが――
目に見えないものの
ただの反射、ただの影に過ぎないというのが?
なあ友よ、お前には聞こえないのかい、
バタバタ騒がしい生活音が――
楽しげなハーモニーの
歪められたただの反響に過ぎないというのが?
なあ友よ、お前には感知できないのかい、
全世界にあるのはたった一つ――
挨拶のとき何も言わずに
ただ心が心に語りかけることだというのが?
これはロシアの著名な哲学者・詩人であったソロヴィヨフの詩(1892年)です。彼の哲学や詩はシンボリスト(象徴派)たちに強い影響を与えたと言われています。実際、いま訳出した詩の中で表出されているのは、地上にあるものは何か「目に見えないもの」の反映、影に過ぎないという象徴主義的な考え方です。大いなる真実はここではないどこかにあり、ここにあるのはその反射や反響に過ぎないというのです。もちろん、この思想的背景にはプラトンのイデア論があります。まずイデアの世界があり、私たちの世界で起きている現象はそのイデアの影に過ぎないという思想です。シンボリストたちは自身の創作の中で、このような目に見えない関係性をまるで魔術師のように暴こうとしました。
『ドストエフスキーと愛に生きる』は決して象徴主義的な映画ではありません。日常的な生活が何か「目に見えないもの」の影であると主張しているわけではありません。そうではなく、生活の些事の中に世界の理とでも言うほかないような真実が宿っていることを示唆してくれているのです。つまり、この表層的な世界に奥行きがあることを示し、潜り、その暗がりを照らしてくれているのです。そういう文脈でソロヴィヨフの詩を読み直しているのでしょう。
普段目にするような些細なものに世界の真相が隠されているという考え方を、ここで仮に「原型のアレゴリー」と呼んでおきます。
小説などを読んで、それを世間に生じている事件等への仄めかし、暗示、寓喩(アレゴリー)と受け取る読者はどこにでもいるもので、それは結局のところ他者の物語を自己の物語に変換している(適用している)のだと思われますが、「原型のアレゴリー」はそのような変換とは一線を画します。ある亡霊と別の亡霊との類似を指摘するこうした解釈ではなく、「原型のアレゴリー」は乱舞する亡霊にその本体の記憶と身体を洞察するのです。
そのような「原型のアレゴリー」を体現しているのが、カフカの短編小説『独楽』です。哲学者が独楽の回転という「ささやかなもの」の中に「大いなるもの」を認識しようと苦心する物語です。この短編では、そのような行為は滑稽なものとして語られているようにも見え、カフカ自身の狙いは定かではありませんが、しかし「カフカの独楽」は「原型のアレゴリー」のメタファーとみなしてよいでしょう。
およそ思想とは、著名な誰かの書物の中にのみあるとは限らず、たまねぎの皮の中に、昔からあるおとぎ話の中にも潜在しており、そこでひっそりと眠りながら、賢明な人に見つけられるのを待っています。たぶん、私たちがいつも使っている歯ブラシや、木の葉を弾く雨粒の音や、書棚に降り積もった埃の匂いの中にさえ、世界の理は秘められているはずです。偉大な思想家は必ずしも書物の中から哲学を学ぶのではなく、例えば西瓜を育てながら、稲に水を遣りながら、哲学を耕すことができるのです。
察するに、スヴェトラーナ・ガイヤーはドストエフスキーのテクストというテクスチャー(織物)を丹念に解き且つ編む作業を通して、世界を認識する術を身に付けたのではないでしょうか。彼女はドストエフスキーのテクストを読む営みを「宝探し」に喩えていますが、事物に秘められた「宝」に至るまで地中を掘り進め、この世界の奥行きを広げています。
背中を丸めながら、つつましく生活し、懸命に翻訳に打ち込んでいた彼女は、ドイツで映画が公開された翌2010年に、87歳で天に召されました。「天に召された」という言い回しがこれほど相応しい人を、私は他に知りません。
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#14/「相対性理論」論
庵野秀明インタビュー
5月23日、「Sputnik」日本語版のサイトで、「『エヴァンゲリオン』の監督、日本アニメの寿命はあと5年か」と題された記事が出ました。
http://jp.sputniknews.com/japan/20150523/369080.html
それによれば、日本のアニメは斜陽に向かっており、いずれ世界のアニメを牽引する中心的な存在ではなくなるだろう、と庵野秀明監督がインタビューで語ったというのです。
この記事はTwitterなどネット上で話題になりました。しかし、実は「Sputnik」にあげられていた情報はインタビューのほんの一部分であり、悲観的な展望のみが強調されて伝えられていました。
そこで、今回このインタビュー全文を訳出し、庵野監督の真意を誰もが推量することができるようにしました。
とても感動的なインタビューですので、庵野秀明ファンはもちろん、日本のアニメを愛する全ての方々に是非お読みいただきたいと思っています。
なお、インタビューの原文は以下のサイトにあります。
http://ria.ru/interview/20150522/1065883205.html
庵野秀明監督「日本のアニメは黄昏を迎えています」
2015年5月22日
日本のアニメーションの未来について、伝説的なアニメーションスタジオであるジブリの解散について、そして宮崎駿『風立ちぬ』での自身の声優出演について、5月22日に55歳の誕生日を迎えた監督が、リアノーボスチのインタビューに語ってくれた。
『エヴァンゲリオン』というカルトムービーを生み出した庵野秀明はインタビュー嫌いで有名で、『エヴァンゲリオン』の続編について質問しないよう記者たちに求めている。日本のアニメーションの未来について、伝説的なアニメーションスタジオであるジブリの解散について、そして宮崎駿『風立ちぬ』での自身の声優出演について、5月22日に55歳の誕生日を迎えた監督が、リアノーボスチのインタビューに語ってくれた。聞き手はクセーニャ・ナカ。
――監督はご自身をマニアだと仰っていますが、作品のファンたちは監督のことを『エヴァンゲリオン』のようなカルトムービーや他の作品を生み出した人として見ています。なぜご自身をマニアだと仰るのですか?
――自分の絵や作品でお金を稼いでいる人がプロだと、僕は思っています。一方で、稼ぎのためではなく、単に自分がやりたいからという理由で、自分がやりたいものだけを作る、儲けに無関心な人は、マニアなんです。ぼくは自分が(あらゆる意味で)マニアだった頃から作品を作ってきました。マニアである時期というのは、どんなプロにも不可欠だと僕は思いますね。マニアの時期があって、その後にプロの時期が来るんです。学生時代に作った自分の作品を観ると、恥ずかしくて死にそうになります。
――宮崎駿監督の『風立ちぬ』で、アニメ声優という新たな試みに挑戦されたのはどうしてですか? また、この決断を後押ししたのは何だったのでしょうか?
――全部単純な話なんです。宮さんが僕にこう言ったんです、「やれ!」って。理由はこれだけなんです(笑)。彼は僕に頼んできました。で、僕はそれを断れないんですよ。僕はちょっとだけ声優をやってみたことがあるんですが、でも主役を演じたことは一度もありませんでした。これはものすごい責任です。僕はやれることは全部やろうと努めましたが、でもそんな必要はなかったんですよ。もっと詳しくお話した方がよさそうですね? もしこの役が上手くいかなかったとしても、僕に罪はないんです。僕にとって重要なのは、宮さんが上手くいったと言ってくれたことなんです。それがつまり、万事オッケーってことです。全部終わったとき、宮さんがとても喜んでくれたので、たぶん上手くいったんだと思いました。ざっくり言うと、僕は宮さんを喜ばせるためにやったんです。僕自身、声で演技したいとは全く思いませんでしたね。
――難しかったですか?
――ちっとも。大事なのは、僕が演技しなかったということです。収録中、僕は今の僕であり、僕自身であり、いつも喋るみたいに喋りました。堀越二郎(アニメの主人公。そのモデルは、第二次世界大戦期の日本の伝説的戦闘機「ゼロ戦」の設計技師――編集部)になろうとは思いませんでした。庵野秀明その人のままでした。宮さんが望んでいたのもそういうことだったんじゃないかと思います。彼は僕に堀越二郎になって欲しくなかったんです。彼はただ堀越二郎みたいな人に喋って欲しかったんだと思います。声優の技術は関係ないんです。
――日本のアニメの将来についてはどうお考えですか? その未来をどのように見ていらっしゃいますか? 日本のアニメーションの状況をどう記述することができるでしょうか? 日本や世界でアニメーションが発展してゆくためには何が必要ですか?
――日本のアニメーションは…何と言ったらいいかな…日本のアニメーションは凋落しますね。もう頂点は過ぎたんです。黄昏を迎えています。落ちていきますね。完全に落ち切ったら、恐らくその後に改めて上昇してゆくでしょう。その上昇を待っている人たちがそのときアニメーションにどれほど残っているか、ですか? アニメの制作システムは今のところギリギリの状態ではありますが、もちこたえてはいます。それが崩壊するのは時間の問題だと思いますね。大体5年後には…ともかく20年はもちませんね。今の日本のアニメのシステムが崩壊するのは、一番早くて5年、一番遅くて20年です。将来的には、いまここで作られているようなものを作ることはできなくなります。人はいない、お金はない、日本のあらゆる状況が、無関心に、何も考えずにアニメを作ることを許さなくなるでしょう。アニメを制作するためには、人は経済的な意味で安心安定していなければなりません。晩飯にどうやってありつこうかと考えなければならないなら、その人は絵を描くどころの話ではないし、そんな絵は喜びをもたらしてくれません。あなたが今夜食べるパン一切れの方が重要なんですよ。日本がこれほど多くのアニメーション映画を制作することができたのは、日本がとても豊かな国だったからです。いま、アニメーションも含む映画文化は衰退期を迎えていると思います。アニメーションが発展するために欠かせない条件は、この社会に生きる全ての人間の食事が保障されることです。そして、彼らが娯楽から満足を得られるようになることです。そうしなければ、アニメーション映画を制作することは不可能です。日本は今までかなり豊かな国でした。日本ではこのような条件が整っていたのです。アメリカもそうです。しかし今やアジアの国々も豊かになりつつあり、もうすぐアニメを制作するための基盤が出来上がるでしょう。一方、日本では逆にお金が減っていくでしょうね。アニメーションを作ることができていたはずの余分なお金がなくなっていくんです。そしてアニメーションは次第に凋落してゆきます。僕はこういうことが正確に分かるわけではありません。経済がどう発展してゆくかもやはり分かりません。でもいまアニメーターの数は徐々に減少しているんです。もしアニメーション業界の人たちの数がこのまま徐々に減少してゆけば、アニメーション映画を制作できる可能性は小さくなってゆくでしょう。アニメーションそのものが消滅するとは思いませんよ。でも今まで作られてきたような面白い映画が制作される状況では恐らくなくなりますね。そうなったら世界のどこかで自分たちのアニメが作られてゆくと思います。アニメーションそのものは世界のどこかに必ず存在します。ただ日本がこの世界のアニメーションの中心でなくなるだけなんです。たぶん5年後に中心になるのは台湾ですね。僕はちょっと前に台湾に行ったんです。活気がありましたね。台湾では手描きよりもCGの方が浸透してるんですよ。CG制作班にはエネルギーと情熱がありますね。日本がこんなだったのは何十年も昔です。いま僕らは惰性で動いています。僕らは保守的だから、CGで立て直すっていうのは難しい。もちろん、僕らが伝統的なアニメーションをこれほど尊重しているっていうのは大切なことです。でも、それを堅持しすぎれば、先へは進めなくなってしまいます。柔軟な姿勢をとること、新しい環境で面白いアニメをどうやって作るかを考えることは、日本ではいずれ難しくなるでしょうね。
――ロシアのファンは、監督がジブリと協力する可能性について関心を持っています。そういう計画はおありですか?
――今はないですね。今のところジブリからはそういう提案をもらってないですね…。日本のアニメスタジオのシステムっていうのは、箱型なんですよ。物を容れる箱です。容器です。だから重要なのはスタジオの名前ではなくて、そこで今まさに働いている人なんです。アニメーターの個性の方が重要なんです。
才能ある人が一つのスタジオに閉じ込められているわけではないんです。もしジブリで働いているアニメーターたちが独立して働き出したとしても、彼らは面白い映画を作り続けますよ。ジブリで働いていた人たちは、アニメ業界内の別の場所に移動しました。このことを誰も特に残念だとは思ってませんよ。もっと言えば、逆に、ジブリが解散したおかげで、新しいシーンの流れが出来上がっています。ようやく誰もが喜んでくれるような。日本のアニメーションでは、人間というファクターにとても多くのものが依存しています。アニメ制作における人の果たす役割が非常に大きいんですよ。スタジオの目的は、その仕事を軽減させることです。もちろん、個々のスタジオに受け継がれているものもありますよ。でもどんなスタジオでアニメが作られたかよりも、監督の名前の方が重要なんです。ジブリにもたったの3-4人しか監督がいません。
――監督は海外でもとても人気があります。それについてどう思ってらっしゃいますか? 国外の観客があなたの映画を観ることを考慮に入れていらっしゃいますか?
――もし海外でどう捉えられるかを気にしていたら、僕は自分の映画を作ることができなかったでしょうね。でもたぶん、まさにそういう作品が――ここでだけ感じることができてここでだけ作ることができる、とても内向きで日本的な作品が――ちゃんと海外で反響を得られると思うんです。こういうよく分からない、馴染みのない文化に惹かれてしまう人はたくさんいるんですよ。僕の作品が海外でどう受け取られているのかは考えません。外国のお客さんはまさにそのことを作品から感じ取っていますよ。もしこのことを深く考えたら、何か平凡で、どこにでもあるようなものができるでしょうね。ユニークなところが一切ないような。たとえ自分自身の世界や世界観を強く表現していても、そんなふうにすれば他の人たちに受け入れられるでしょう。それに僕は違うやり方はできません。
――監督はアニメーションを普及させたり様々な国の若いアニメーターを惹き付けたりといった、色々なプロジェクトを最近実現されていらっしゃいます。その点についてお話していただけますか。
――日本のアニメーション、システム、そしてそこで働いている人たちは、行き詰っています。僕はアニメーション業界の内側にいて、そのことをとても強く感じています。この袋小路からの脱出を手助けしてくれるようなものを見つけたいんです。ただ待つだけでは、何も起こりません。だから協同の国際プロジェクトというアイデアが生まれたんです。これはレジスタンス運動です。僕らがこういうプロジェクトを実現させようとしても、日本のアニメ業界は肝心なところは何も変わらないでしょう。でもやらないわけにはいかないんです。日本のアニメがこのまま消えてしまうのを座して待っているよりも、何かやってもがいた方がいいんです。アニメというのはお金をかければかけるほど、作る側の自由は減っていきます。若手に完全に自由に作らせた5分間のアニメのプロジェクトにいま僕らは取り掛かっています。5分間のフィルムなら一人でも作ることができます。たった一人の人間の創造的表現にできるんです。でもたくさんの人間がそこに加わることもできます。ここに新しい可能性と新しい発見があるんです。しかも5分という時間は核心だけを集中して見せることができます。僕らは英語のタイトルを付けることにしました。これらのフィルムは世界中で観ることができます。
長いフィルムは必ずしも皆が観てくれるわけではないですが、でも5分だったらたくさんの人たちが観てくれますよね。たとえば地下鉄とかで。もしかしたら日本のアニメを観ることで自分が面白いと思う何かを感じてくれる人がいるかもしれません。これは世界の視聴者に向けたプロジェクトなんです。日本の視聴者にだけ向けたものではないんです。世界中の人々がアニメを観てくれるように可能性を広げる試みなんです。スマートフォンにアプリをダウンロードするだけでいいんです。そうすれば全部観れます。日本のアニメがもっと多様になって、進化して、アニメを作る人たちの数が増えて、つまりアニメそのものがもっと魅力的になって欲しいとすごく思いますね。僕らは簡単な方法でアニメの魅力を伝えたいんですよ。
――どうしてそういうアイデアを今まで誰も考え付かなかったのでしょうか?
――お金にならないからです。これでは全く稼げないですからね。僕らが取り組めているのは、これでお金を稼ぐつもりがないからです。
――監督の将来の計画についてはいかがですか?
――僕は映画かアニメを作ることしかできません。面白い作品を作りたいですね。でも僕はもう50を過ぎて、今年で55歳になります。僕も自分が子供の頃に影響を受けた多くのアニメに感謝を捧げたいですね。アニメーションが普及し、もっと面白くなって、定着してくれるような環境を作ることがそれに報いることだと思っています。これで借りが返せます。僕だってそういうことがしたいんですよ。僕の力が及ぶ限り、作品を作り続け、アニメーションの義務を果たし続けます。
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#13/『ゴジラ』『ゴジラ VS デストロイア』~ゴジラはK DUB SHINEでは無い~
1995年12月9日に劇場公開され、今年公開から20周年を迎える『ゴジラ VS デストロイア』は僕にとって劇場ではじめて観たゴジラ映画であるとともに、ゴジラの死を描く内容、闇夜の中で高熱に身をよじるゴジラ、デストロイアの造形の禍々しさと美しさ、ラスト・シーンのエネルギー……と何をとっても強烈な印象を観客にあたえる作品であり、ひいき目無し――というのは思い入れが強い分難しくもありますが、可能なかぎり他の作品とフラットに比較しても――ゴジラ映画の中でも傑作に数えるべき一作だとかんじます。
なにが印象的って、放っておいてもあとちょっとで死にそうなぐらい轟々と燃えてて、末期がん患者みたいなゴジラに更に追い打ちをかけてくるデストロイアと人間の残酷さですよ。よぼよぼのおじいちゃんを後ろから突き飛ばすみたいな感じです。
まああとにも書くように、そうはいっても人間は何もできてなくて馬鹿みたいに無力なんですけど。ゴジラの子どものシーンも悲しかった……。
明確にゴジラの死を描く作品が、戦後50年の節目、そして阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が発生し、日本社会の転機になった年といまでは位置づけられる1995年に公開されたというのはいまかんがえると興味深い事実です。ゴジラはおうおうにして、発展した社会の中にエア・ポケットのように存在する不安に“つけ入るように”――或いは“求められるかのように”――姿をみせる怪獣だからです。
ゴジラを“リセット・ツール”のような存在と、とらえてみましょう。『ゴジラ VS デストロイア』において、ゴジラは燃えています。火事な訳じゃなくて。体内炉心の核エネルギーが不安定な状態にあり、いつ核爆発がおきてもおかしくない状態にゴジラがおちいっていることが、その理由です。人類は、一度はゴジラの核爆発を未然に防ぐことに成功します。しかし、体内炉心は依然として不安定な状態にあり、ゴジラが“メルトダウン”し、地球が灼熱の星に変貌してしまう可能性が浮上します。
ゴジラを倒すことが出来る“希望”は、かつてゴジラを倒した武器『オキシジェン・デストロイヤー』の副作用によって誕生した、凶暴な怪獣『デストロイア』に託されます。人類は街で自衛隊を襲うなど、破壊のかぎりを尽くすデストロイアと、ゴジラの“一騎打ち”の状態をつくり出すことを試みます。
『ゴジラ VS デストロイア』における人類は、まあ兎に角無力です。
1990年代とは『失われた10年』としばしば形容されるように、戦後の経済発展の意義が根底から問い直された時代です。
たとえば、1990年代に新興宗教や少年犯罪に関する報道が盛んになったのは“エコノミック・アニマル”と揶揄されるほど、ビジネスに打ち込み続けた日本人がそれまで社会や治安、家庭、ひいては“倫理”に向かい合ってこなかったことへの一種の自己批判のような側面があるのではないでしょうか。
ゴジラの核エネルギーが不安定な状態であり、核爆発、メルトダウンの危険が迫っている……ことは『戦後の経済発展を支えたエネルギー』が大きく揺らぎ、社会が崩壊寸前の状態にあることを意味しているように僕にはおもえてなりません。戦後、日本人が作り上げた街並みがゴジラとデストロイアの一騎打ちによって蹂躙し尽くされる。その様子を人間はただ茫然と見ているしかない。
ゴジラ映画にはしばしば“怪獣たちが戦う様子を、ただ眺める無力な人間”に関する描写が登場します。自分たちが作り上げて来た街を破壊する巨大なエネルギーの衝突――ゴジラとその敵の怪獣の戦い――に、人間は介入することさえ出来ない。
ゴジラ映画においてもっとも疎外されている存在は、人間です。
そして、ゴジラの恐ろしさはその強大さや大きさ、炎の強力さにあるのではなく、浅はかで無力な人間が「対象に関与できない」ことにあるとおもいます。
*
1954年11月3日に公開され、2014年には60周年デジタル・リマスター版が劇場にて上映されたゴジラ・シリーズ第一作の名作『ゴジラ』に登場し、東京を襲うゴジラもまた当時の人々にとっての“リセット・ツール”として機能し、観客は肩を揺さぶられる感覚を得たのではないでしょうか。『ゴジラ VS デストロイア』は1954年版ゴジラを下敷きに制作された作品なので、よく似ている部分があることはあたりまえといえばあたりまえですが。
第一作の『ゴジラ』の冒頭では、貨物船の沈没シーンが描かれます。貨物船の甲板が映るファースト・カットでは、男性が楽器を爪弾いています。
貨物船の甲板で男が楽器を弾いている……というのはよく考えてみれば、ちょっとおかしなシーンでもあります。
なんなら、ちょっときもちわるい……。
タイタニック・ミーツ・自称インディーズ・ミュージシャンみたい……。
貨物船とはあくまでビジネス目的で運行される船であり、旅行を目的とする船ではありません。豪華客船の甲板で金持ちの若い男が楽器を弾いているのなら兎も角、貨物船の甲板が“楽器を弾く場所”として選出されるのは変!やっぱり気持ち悪い!
僕はこのファースト・カットから、当時の日本人の物質的豊かさへのあこがれを読みとりたいとおもうんですね。制作陣にとっては、貨物と音楽を結びつけることはきわめてスムーズな作業であったのだろうと。なぜなら、大量の貨物は敗戦から立ち直りつつある日本人を大いに勇気づける――貧しい時代は過去になった!――ものであったに違いなく、その“喜び”は美しい音楽によって象徴的に描くことが可能だったと推測出来るからです。
余談ですが本作の冒頭にはヒロインの女性が、音楽会にむかうシーンが描かれます。ヒロイン――というもっとも美しい女性――だけを、ゴジラと言う作品のおどろおどろしさから逃がすかのように。彼女こそがゴジラの死に最も直接的に関わる人物になる、という事実は皮肉です。女性を尊重しているのか、蹂躙しているのかよく分からないっていえば分からないんですけど……笑
沈没に伴い、貨物も楽器も海の底に沈む。そうした描写は制作陣が、“貨物に抱く楽観的な未来予測”に強烈な疑いを向けているかのようです。
第一作の『ゴジラ』は貨物船の沈没に続き、事故に遭った船員の救出に向かう船の失踪、そして一名の乗組員の救出を描きます。そして、彼が『巨大な生物に襲われた』ことを口にすることで、物語が大きくうごきはじめます。巨大生物は太平洋を臨む島に昔からつたわる伝説の怪獣『ゴジラ』ではないか?と、ある老人は語ります。
ゴジラは間もなく島に上陸し、破壊活動をします。生物学者の山根博士は、ゴジラの出現について『水爆実験の影響で海底の住処を追われたゴジラが、陸上に進出したもの』と考察します。
本作の序盤で船の沈没が多く描かれ、また山根博士が『海の汚染』について触れることからもまた、多くのことを読み取ることが出来ます。海は観客に対し『広がり』や『恵み』、『母性』といった要素を感じさせるシンボルです。『海』は『冒険』や『旅』といったモチーフを扱うことが出来るシンボルでもあります。『ゴジラ』は船の沈没や海の汚染を描くことにより、船の進路――明るい筈の未来――に落ちる影や、母性や恵みの危機、揺らぎ、恵みを享受する人々の大きな動揺を描いていると考えます。『ゴジラ』は既に迷走していた社会の悪化を描こうとしているのではなく、『明るくなると信じられていた社会』『良くなると信じられている社会』の“当てにならなさ”のようなものや、今後の発展への疑問符を提示している。
太平洋を臨む島の住民にとって、海とは生活の基盤そのものでした。
海がダメになるっていうのは、現代に置き換えたら銀行がつぶれるとか、テレビ局がつぶれるとか、電話回線が不通になるとかYahoo!JAPANがなくなるとかそういう感じのあれなんじゃないでしょうか。もうちょっと深刻でしょうけど。兎に角、社会の前提条件に『ゴジラ』は揺らぎを与えています。
『ゴジラ』は反核映画、ではありません。
反核メッセージを発したいなら、ゴジラの力を借りるより、K DUB SHINEの力を借りた方がたぶんいいですよ。K DUB SHINEなら街を壊すこともないでしょうし。
『反核』というのは、未来に向かって放射されるメッセージです。反核は建設的と言えば、建設的な運動でもあります。
しかし、ゴジラは決して何かを建設する怪獣ではありません。ゴジラに登場する人間もまたなにかを建設しようとはせず、ただただ破壊の連鎖に加わろうとしては加わることさえ出来ず、破壊される街を眺めるだけです。人間は無力です。無力な人間の振る舞い、そして無力さを突き付けて来るゴジラに対し『反核』がどうこう……という“建設的”メッセージを読み取ること自体が、『ゴジラ』と相反するものです。
ああ、無力だなあと圧倒される。
或いはただただ映画を観て、トラウマを植え付けられる。トラウマを引き起こされる。そうした接し方こそが、ゴジラ映画の最も素晴らしい味わい方であり、良く言われる『反核映画』としてのゴジラ……というのは本当に気持ちが悪い見方だなあと思ってしまいます。
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人間の暮らす社会を根底から揺るがし、蹂躙するゴジラが“愛されている”ことは奇妙なことでもあります。
昭和期にはゴジラを正義の味方として扱うような、ゴジラ映画も多く制作されました。ゴジラのフィギュアや人形は様々なおもちゃ会社から数えきれないほど発売されています。いつもおもうんですけど、ゴジラエッグってなんなんでしょうね。あれは何が楽しいんだ。
人はゴジラを恐れると同時に、求めている。
人類が“積み重ねている”と思っているものは、簡単に崩され得る。社会はリセットされ得る。ゴジラは人類が“目を醒ます”ことを望んでいるのかもしれません。
“リセット”が祝祭に感じられるときには、ゴジラは正義のヒーローとして扱われ、それが恐怖に感じられるときにはゴジラは破壊神として扱われるのだとおもいます。
新作も楽しみですね!
九十現音
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#12/高校三年生の音楽論ーMr.Childrenの「根底にある暗さ」
突然だが私は暗い曲=マイナーコードの曲を非常に好んでいる。
賛否両論が起こりそうな作品であっても暗い曲であれば割と寛容な姿勢を見せる。知人のバンドだと話は別でパフォーマンスや全体の構成について考えるが、あまり関係ない一般人として聴く場合は暗い曲ばかり聴いているような気がする。自分のiPodを見れば一目瞭然で、人間性を疑われるようなもの――所謂「マニア向け」音楽と表現したらよいのだろうか――が結構登録されていた。
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中学・高校と一番聴いていたのはMr.Childrenだった。この話をすると八割方驚かれるのだが、逆に私がどういった音楽を聴いていたと思っているのか尋ねてみたい。それくらいMr.Childrenは私の生活において身近な「青春時代」とも言えよう。
Mr.Childrenにおいて一つだけ不満を述べるならば(今回のタイトルにも挙げている「高校三年生」当時も同じことを訴えていた)デビューから「Tomorrow never knows」、アルバムで言えば4th「Atomic Heart」までは気にならなかった(寧ろ好きだった)ヴォーカル桜井和寿の歌い方が「奇跡の地球(ほし)」で競演した桑田佳祐のせいで巻き舌になってしまい、暫くは聞くに堪えないものとなったことだ。15thシングル「終わりなき旅」から改善が見られたが、これは1997年の活動休止が功を奏したものと考える。
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Mr.Childrenのバンドとしての演奏能力はお世辞にも上手いとは言えない。
しかし小林武史がプロデューサーに就任してから楽曲としてのクオリティは非常に上がり一気にスターダムへのし上がるのだから、人間性はともかく小林武史という男は敏腕であり先見の明があったと言えよう。
その小林武史がMr.Childrenと初対面した際に「(雰囲気が)暗い」と回顧しているのを2011年の某番組で知ることができる。その暗さの程度はMr.Childrenが「ミスチル旋風」を巻き起こすきっかけとなった4thシングル「CROSS ROAD」においてミュージックステーションに出演した時の彼ら(特に桜井和寿)の瞳に宿らない光のなさに母親が「この人たち気持ち悪い」と言うくらい暗いを通り越した薄気味悪さ、であり「暗さ」を超越していたのは間違いない。
だから、というわけではないが恐らく1st「君がいた夏」のような淡い爽やかさよりも「All by myself」のようなリズミカルな作風や「Distance」「車の中でかくれてキスをしよう」(1st以外すべて2nd「Kind of Love」に収録)のようなバラードに見られるマイナーコード進行の「暗さ」が非常に彼らの根底にある暗さとマッチしているのである。
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高校三年生の時、私の高校では選択科目「音楽・美術・書道」に「国語表現」(以下「国表」と記す)が加わった。二年間選択した音楽を諦め私は国表を選んだが後悔はしていない。というのも大学受験向け小論文講座がメインと謳っている割に、創作文芸に近いものだったからだ。
授業の一環で新聞を作ることになった。内容は自由。同じように国表を選択した同級生たちも苦戦しつつ楽しそうだった。片っ端から自由詩(主に母親の面白ネタ)を掲載した男子生徒、大好きなバレエについて熱く語る現役バレリーナの女子生徒など個性的な新聞が集まる中で、私のものは非常に駄作であり没個性だったことが窺い知れる。内容は今回の記事のタイトル通りである。音楽論でありマイナーコード進行の良さを書き殴ったつまらないものだ。
特にMr.Childrenと今は解散しているマイナーなバンドについて書いてあった。
『Mr.Childrenはマイナーコードで活きるアーティスト』
この考えは今も変わらない。そしてこれからも変わらないのだろう。
具体例を挙げると5th「深海」の重たく息苦しさを覚える暗さは至高である(作品としては色々と述べたい件もあるが割愛する)。「深海」はMr.Children初のコンセプト・アルバムであり、明るい曲は排除された(「Tomorrow never knows」「everybody goes -秩序のない現代にドロップキック-」「【es】 〜Theme of es〜」「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」は「深海」リリース前に発売されている)。突然のやや青臭いバンドサウンドと音の作り方に驚いた人は多かっただろう。彼らはこのアルバムを現在は否定するような発言をしているが(作風、個々の曲としても)コアなMr.Childrenファンと話をすると「深海」そのものの評価は非常に高い。もしかするとリリース時期(1996年6月24日)からバンドの方向性についてもがき苦しんでいたのではと推測するがあくまでも私の邪推である。
2011年5月、震災で色々なものが自粛される中さいたまスーパーアリーナで開催された「Mr.Children TOUR 2011 "SENSE"」に参加した。その中で「シーラカンス」「深海」を披露したのである。その時の会場内の一瞬の歓声と、直ぐやってきた静寂がファンの心境を如実に表していたと思う。この二曲は対の意味合いがある(歌詞もだが主に作品としての意味合いが強い)ので「シーラカンス」が流れると必然的に「深海」を期待できるのである。
会場は、異様な空気だった。
勿論私は嬉しくて言葉が見つからなかったし、一緒に参加した友人(もMr.Childrenの昔からのファンである)も終演後に「シーラカンスと深海、予想通りだったじゃないか!」と興奮していた。
海底に沈んだままのものと、水面に浮上していく様が総合的に「転調」している一つの楽曲として成立している。リリース当時よりも彼らが突き抜け「深海」からゆっくりゆっくりと浮上している感覚。それは私が個人的に思い入れのある「ALIVE」(6th「BOLERO」収録)の最後の転調に非常に似た感覚だった。
この転調が非常に重要で、Mr.Childrenの暗さは「どんな状況に陥っても必ず上がるために必要な暗さ」であり、楽曲(特に1990年代後半に見られる)の構成として「ミスチルらしさ」の原点が含まれているように思う(「ALIVE」のブッダ参考説についても個人的に思うところがあるので別記事で述べたい)。
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Mr.Childrenという「アイコン」は「暗さから脱却するためにもがく」のが魅力的な「葛藤を続ける人間」なのかもしれない。ふと、そんなことを思った。
最後に彼らの作詞で印象的なフレーズを一つ載せておく。
誰のためでも 誰のせいでもないから今は All by myself
時の流れが やがて僕にかたむきかける日まで「All by myself」(2nd「Kind of Love」収録)
河原奈慧
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